これは五年も前の亜斗欧の誕生日の写真。。
こんな可愛らしい時もあったんだな〜と
写真を整理しつつ、感慨に耽ってしまいました。
さてさて、今日の主役は息子ではなく、
赤いトレーナーを着ている、ガディーア少年です。
彼はアフガニスタンからの移民です。
アフガニスタンに限らず、オーストリアには
色んな国からの移民がいます。
情勢が安定していない国がまだ
いくらでもあるのはみなさんも
新聞やニュースでご存知でしょう。
私も日本にいた時に、情報として目や耳にしても
所詮、遠い外国のことくらいにしか
受け止められませんでした。
それが五年前、ウィーンで暮らすようになって
人種や宗教の違いを、
直に肌で感じるようになりました。
自分の国から逃げざるを得なかった移民者。
アフリカ、ユーゴスラビア、シリア、旧ロシア・・
本当に色んな国からの移民がいます。
この国で人生の再スタートを切った人達は
必死で生きようとしているように見えます。
しかし近年オーストリア政府は、
一度受け入れた移民をそれぞれの
自国に戻し始めました。
移民を受け入れすぎて財政難が生じたためです。
ここでガディーアの話に戻らせて頂きます。
1994年にアフガンで内戦が広がり、
それから間もなくガディーアは家族で命からがら
ウィーンに逃げのびて来たそうです。
彼は五年前、ドイツ語を一言も話せなかった
息子に一番優しく接してくれた、ウィーンでの
最初の息子の友人です。
学校で会うといつも私に亜斗欧の学校での様子を
話してくれました。
自分も数年前、同じように不安だったことを
思い出して、亜斗欧を安心させようと
してくれたんでしょうね。
亜斗欧の誕生日も必ず来てくれました。
なけなしのお小遣いで、亜斗欧にプレゼントを
選んで来てくれ、誕生日じゃないアリーチェにも
いつもプレゼントを持って来てくれました。
娘も自分の兄より優しくしてくれる、
ガディーアのことを、とても慕っていました。
亜斗欧はこちらで小学三年生から始め、
翌年の春に一週間の修学旅行があると、
知らされてはいたのですが、
言葉もまだ覚束ないのに
何かあった時にパニックになったり、
落ち込んだりすることを考えると、
参加させない方が、息子のためのような
気がしてました。
もちろん、親としては一週間頑張って、
乗り越えて強くなって欲しいという
気持ちもあったんですけどね。
私も主人も最終的には息子の意思に任せることに。。
結局、ガディーアが息子に一緒に行くように、
話してくれ、参加することを決意した息子でしたが、
旅行前日の夜になって、「行きたくない・・」と
泣き出してしまいました。
「じゃあ、明日の朝になっても行きたくなかったら
行かなくて良いよ。だから、もう泣かないでね」
と、諭して寝かせ付けました。
旅行当日の朝は雲一つない青空が広がり、
不謹慎にも絶好の旅行日和だな〜と、
思って朝食の準備をしていると・・
「行くよ!」と、
息子が笑顔で言うではありませんか。
大きなトランクを転がして学校に行くと、
ガディーアは先に来ていました。
「あれ、一人で来たの?お父さんも
お母さんも来られなかった?」
と尋ねると、
お父さんは出稼ぎで外国にいるとのこと、
お母さんは他の兄弟(六人兄弟)の世話で
来られなかったとのことでした。
自分の体重より思いトランクを、
彼の移民収容所の家から30分以上
転がして来たんだなと思うと、
彼の自立心に逆に心が痛みました。
我が家は家族総出で見送りにきた訳ですから。。
出発の時間になり、バスに乗り込もうとすると
亜斗欧はやっぱり泣き出してしまいました。
親的には予想していた展開でしたが、
動揺しまくる私達を尻目にガディーアは
「亜斗欧、ぼくが守るよ!一週間、
ぼくが君を守からね」と言って、
亜斗欧の手を引いてバスに乗り込み、
二人並んで手を振って、数百キロ離れた目的地に
出発してしました。
その一週間、亜斗欧は一度も泣くこともなく
元気に楽しく過ごしたそうです。
もちろん、ガディーアのおかげです。
それから二人は別々の
中学に通うことになりましたが、
週末になると、必ずガディーアは我が家に来て
一緒に遊んだり、時には勉強したりしてました。
それが2年以上も前から、
パタリと来なくなったのです。
以前は近所のモールでもよく彼と
彼の兄妹にも出くわすことがあったのに、
全く見かけなくなってしまいました。
そこで、前述した政府による移民の自国送還の
ニュースが頭から離れなくなりました。
アフガンに戻されてしまったのでしょうか。。
今では息子も学校でたくさん友達ができ、
ドイツ語も問題なく、自信を持って学校生活を
送っていますが、私はその礎を築いてくれた
ガディーアに一番感謝しています。
日本と言う豊かな国から来た亜斗欧、
内戦から命からがら逃れてきたガディーア、
一見、何の接点もないように見えるこの二人は
オーストリアで友情を育み、
そこには人種差別や宗教の偏見は
全くありませんでした。
もし、また彼を見かけることができたら、
思いで話に花を咲かせ、
ここに登場させられたらと思います。
今回はいつもと趣向が違う記事で、
当惑された方もいらっしゃるかもしれませんが、
これからも、私がこの国に来て感じたことを
伝えて行けたらと思います。
長い駄文を最後まで読んで下さった方に
感謝いたします。
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